鳥獣保護センターには「たっちゃん」と名付けられた一頭のタヌキがいる。
たっちゃんは、わずか100g、まだ目も開いていない状態で運ばれてきた。
母親が車にはねられた直後、たまたまスキー帰りの人が通りかかり、母ダヌキの口に
くわえられていたまま生きていたのを、深夜だというのに届けてくれたのだ。
どうやら母ダヌキは、巣穴を替えるために国道を横断しようとしていたらしい。
それにしても、車にはねられる瞬間!口にくわえている我が子を、よく噛まなかったものだ!と、
感心するしかない。
後日、鳥獣保護センターの自然警察鑑識課(野生動物の事故原因を突き止め、具体的な
改善策を行政や企業に求める)が、現場検証したところ、畑、田んぼ、小川、ビニールハウス、
牛小屋、お稲荷さん、積み肥、屋敷林と全部そろった、タヌキが暮らすには申し分のない里山であった。
一方、渡ろうとした反対側は、手入れのされていない雑木林があるだけで、タヌキにとっては
何のメリットもない。
にも関わらず、子どもが何頭いたかはわからないが、国道4号線を何往復してでも、わざわざ
巣穴を移さなければならない事態になっていたのだ。
聞き込みの結果、数日前からノライヌがうろついていたことがわかった。
むろん、たっちゃんのママの「早とちり」かもしれないけれど、ともかく、ノライヌから子どもを
守るために危険な国道を渡ってまで、条件のいい巣穴環境を捨てる決心をしたのだった・・・。
たっちゃんは今、保護センターで元気に育っている。
ノライヌが悪いわけではない、捨てた人間が悪い。ノライヌだって被害者なのだ。
悪い人間もいるけれど、深夜だというのにわざわざ遠回りをして届けてくれる人もいる・・・。
我々が一番わかってほしいのは「ちょっとしたことでも、野生動物には脅威になることがあるんだよ」 ということではあるのだが、それは普段から「野生動物というレンズを通して社会を見ている人間」の言い分だ。
そこで、この話を「救ってくれた人編」「たっちゃんのママ編」「捨てられたイヌ編」「保護センターの獣医編」
「自然警察鑑識課編」とそれぞれの立場から描き、野生動物救護に関わるさまざまな体験とデータを生かし、
しかも救護の現場が持つリアリティーまでも損なうことなく伝えるために、絵や写真を使った何枚かの
ボード(いわゆる紙芝居だと思ってくれればいい)の教材を準備した。
それを使って先生が、自分の出来そうなエピソードを選び、「無責任な飼い主」でも「命の尊さ」
「荒れた里山」でも、「保護センターの仕事」でも「母ダヌキの愛」でも、テーマを決めて道徳なり、
総合学習の教材にしてもらえたらな?ということで試験的に初めて見たのだ。
はたして! 昨日福島第二小学校での6年生は「捨てられたイヌ編」を使って、道徳の授業をするというので、
見学しに行ったのだ。
子犬はもらい手があったのに、なぜ母イヌはもらい手がなく、捨てられたのでしょう?と先生が質問すると
「なつかない」「かわいくない」「エサ代が大変だ」という意見が出て、「母イヌは捨てられても仕方がない」という
結論になってしまった。
中には責任を持って飼いましょう。という女の子もいたけれど、「しょうがないから、責任を持って・・・」という
ニュアンスであり、おそらく頭の中だけで理解している、クラスで最初に初潮が来たような優等生なんだろう。
だもんだから、「シェルター・ボランティア」(引き取り手のない犬猫を収容して、苦労しながら里親を捜している
団体や施設)のことは「どうやら、言わない方がよさそうだぞ・・・」と思えた。
だって、「なんだ〜、そういうところがあるんだったら、そういうところにやればいい!」って安心しちまうだろ〜が!
「しょうがない」「仕方がない」というのは、学校帰りに捨てられた子犬や子猫を拾い、何とかして飼えないものかなぁ?と
考え、やっぱりマンションだから「仕方がない」とか、親がダメって言うから「しょうがない」という悩みではないか?と思う。
それが、自分が子犬の頃から飼っていたイヌを、環境が変わった(都会に引っ越すなど)から「捨ててもしょうがない、
仕方がない」と考えるのは、もはや野生動物問題以前の問題だ。と思えたのだ。
まぁ先生はりっぱな授業をしたと思っていたようだし、校長も「命の教育」をした気になっていたので、
こちらとしては何も言えない・・・。
野生動物が身近に感じられ、野生動物から社会を見て、自らのライフスタイルを問い直すような社会は まだまだ遠そうだ・・・。諦めないけどね。


